明治時代に多くの怪談や随筆を残した小泉八雲。2025年9月から放送されるNHK朝ドラ『ばけばけ』では、彼と妻セツの人生が描かれることでも話題になっています。
そんな小泉八雲の最期や死因について気になる人も多いようです。また、数々の名作を残した彼の最後の言葉も気になるでしょう。
本記事では、小泉八雲の死因や最期の言葉をわかりやすく紹介していきます。
小泉八雲の死因は心筋梗塞(狭心症)

出典:島根観光ナビ
小泉八雲の死因は、心筋梗塞(狭心症)とされています。1904年9月26日に54歳で亡くなりました。
死の数日前、小泉八雲は書斎で突然の痛みを訴え、「新しい病気を得た」と言い残した後、医者が到着した時には痛みが収まっていたと伝えられています。
八雲の晩年はかなり多忙であり、著作活動に追われていたことが、健康に悪影響を及ぼしたと考えられています。
八雲は東京帝国大学での講義や執筆活動を続けており、家族のために財産を残そうとする焦りが死期を早めたようです。
なお、妻・小泉セツは、八雲が亡くなる前の様子を振り返り、彼がどれほど忙しく働いていたかを記録しています。
小泉八雲の最後の言葉は?
小泉八雲の最後の言葉は、亡くなる数日前に妻に向けて語ったものとされており、以下のように話したようです。
「この痛みも、もう大きいの、参りますならば、多分私、死にましょう。そのあとで、私死にますとも、泣く、決していけません。小さい瓶買いましょう。三銭あるいは四銭位のです。私の骨入れるために。そして田舎の淋しい小寺に埋めて下さい。悲しむ、私喜ぶないです」
また、小泉八雲は亡くなる当日にも「病気のため、、、」と呟きながら息を引き取りました。
これらの言葉からは、八雲の死に対する冷静さと、家族への思いやりが感じられます。
小泉八雲の死因や最後の言葉:まとめ
本記事では、小泉八雲の死因や最後の言葉についてまとめました。
紹介した通り、小泉八雲の死因は心筋梗塞(狭心症)とされており、1904年9月26日に54歳で亡くなりました。
また、数日目や当日には最後の言葉を残しており、それらからは八雲の死に対する冷静さと、家族への思いやりが感じられます。
朝ドラ「ばけばけ」で小泉八雲の死の前後がどのように描かれるかに注目が集まりそうですね。